Saburo Hasegawa
Saburo Hasegawa
日本の抽象絵画の先駆者として知られる長谷川三郎は、東京帝国大学文学部美術史科を卒業後、留学先でピカソやモンドリアンの創作活動に衝撃を受け、モダンアートの世界へ入り数々の偉大な作品を生み出しました。キャンパス内の「長谷川記念ギャラリー」には彼の作品約80点 が保管され、一般に公開されています。
学校法人甲南学園は、長谷川三郎の作品が母校である甲南高等学校・中学校へ寄贈されたことをきっかけとして、長谷川三郎記念ギャラリーを開設いたしました。長谷川三郎記念ギャラリーでは、展覧会の企画・開催や美術館への作品の貸し出しのほか、長谷川三郎の作品が多くの方々に親しまれることを願って様々な活動を行っております。
※ギャラリーは現在展示休止中です。下記の開室日時をご確認ください。
素描 1993年頃クレパス・紙
瓦模様 1950年
絹・染(風呂敷)
狂詩曲漁村 1952年
拓本・紙・屏風 東京国立近代美術館
長谷川三郎(1906~1957)
1906年9月6日、11人兄弟の第3男(第5子)として、山口県豊浦郡長府町(現在、山口県下関市)に生まれる。父の転勤に伴い1910年、神戸に転居。1918年現在の芦屋市呉川町に転居し、甲南小学校に転校。1919年、甲南中学校、1923年、旧制甲南高等学校に進学。この頃画家になることを志し、制作活動を始める。
1926年、東京帝国大学美学美術史科に進む。(卒業論文:雪舟研究)
1929年、卒業。渡米、滞欧しモンパルナスにアトリエを借り、制作活動をはじめる。 ピカソ、モンドリアンの抽象絵画に影響を受ける。1930年サロン・ドートンヌ展に入選。 父の死の知らせを受け帰国する。
滞欧作品による個展や作品の発表を続け、「新時代洋画展」「自由美術家協会」を設立。日本に抽象芸術を紹介し、著書『アブストラクト・ア-ト』を出版するなど、評論家としても重要な役割を果たしていた。
1950年、イサム・ノグチを日本に紹介したのも長谷川三郎であり、この頃から東洋の精神と西洋の芸術の融合について取り組み始める。法政大学通信教育部において「図画教材研究」を出版、美術教育にたずさわる。
1950年頃より拓本、木版、水墨の制作に専念する。蒲鉾板による木版屏風をロック・フェラ-三世婦人に買い上げられる。アメリカ抽象美術家協会より招請状を受け参加、これを機に「日本アブストラクト・アート・クラブ」を設立。カリフォルニア美術工芸大学及びアメリカ東洋文化研究所より招聘を受け渡米。共に美学及び美術史を講義する。サンフランシスコのアメリカ東洋文化研究所内に住み、東洋の精神を広めつつ、サンフランシスコ、オークランド、ニューヨーク各地で個展等を開き制作活動も意欲的に行う。