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2025/10/27
学校行事
文化祭週間初日の9月25日(木)10時30分より、ポートピアホテル国際会議場において「ソフィア講演会・育友会文化講演会」を開催しました。今回は、日本を代表する世界的指揮者・佐渡裕氏をお迎えし、「ティーンエイジャーが奇跡を起こす」と題してご講演いただきました。壇上では、山内校長と音楽科の今田教諭が聞き手を務め、和やかな雰囲気の中で進められました。

─ 母親がオペラ歌手で、家ではピアノや声楽のレッスンが絶えない環境で育った。幼い頃から一日中音楽が流れる家で過ごし、小学校の縦笛もすぐに吹きこなしてしまう。タイガーマスクのテーマや「第九」まで難なく演奏できた。小学校の頃、リコーダーを褒めてくれた先生にフルートを触らせてもらい、胸が高鳴った。その時の課題に「20年後はベルリン・フィルの指揮者になる」と書いたという。高校2年の夏、オーディションで選ばれスコットランドで演奏した。言葉の壁に苦労しながらも、演奏してしまえば国境を越えて空気が一つになることに気づく。ダグディグダグディグ、チャンカチャンカ、ジャズも踊りも、地域ごとの文化は国を超えて、踊りと共に体の中に入っていく。タイガーマスクの曲でも、みんなは音楽や演奏よりも一緒に口ずさんで歌っている、そうやって人と人との心を結ぶ力に喜びを感じていた。
フルート奏者から指揮者への転機は高校の文化祭。ミュージカル「白雪姫」で人手が足りず指揮を担当し、大成功を収めた。このチャレンジが、昔の夢こそが喜びを感じる音楽なのではないか、を意識し始めるきっかけとなった。大学ではフルートを専攻しながら独学で指揮を学びつつ、亀岡のママさんコーラスで指揮者として始めて仕事をした。注がれる視線と集中の中で生まれる幸福感は、今も自分の音楽の基準となっている。そして自信も無いのにただ憧れの一心で、タングルウッド音楽祭に挑戦し、奇跡のように合格。バーンスタインや小澤征爾との出会いが、その後の音楽人生を大きく変えた。バーンスタインは、自身の本質をすぐに見抜き、静けさの中から音を立ち上げ、音の隙間に命を宿す感性として、日本の能を由来とした”渋さ”を才能として見出してくれた。指揮者でありながら「自分が関わることで空気が変わる」喜びに、音楽行為が替わっていった。
阪神・淡路大震災の後、兵庫県の貝原知事から「舞台を通じて心の復興を」と依頼を受けた。自分のホールができる興奮と同時に、復興半ばでの社会的な責任の重さをプレッシャーとして感じたという。商店街を歩いて人々と対話し、「心の広場をつくる」ことを掲げた。そして、音楽の訪問授業やスーパーキッズ・オーケストラの結成につながり、被災地での演奏を通して「音楽が人の心を豊かにする」ことの意味を実感する。音楽監督とは、ただ指揮をする人ではない。人の心が動く瞬間を生み出し、自分を通して他者が輝くことに喜びを見いだす仕事だと語る。
成功ばかりが話題にあがるが、むしろ嫌と言うほど失敗も繰り返しているという。そもそも、小学校の頃に書いた夢は、それほど大事だとは思っていなかった。ママさんコーラスを振って食べていけると思っていたし、目の前の仕事が手一杯で忘れていた。ところが関わった周りの人たちが覚えていて、ふと「ベルリン・フィルで指揮するって言ってたもんな」と囁いてくれる。言葉にしたことが自分の外で生き続け、人を通じて自分を導く力になることを知った。実はとてもあがり性だから、指揮者という「音を出さない立場」だからこそ、緊張を観察し、緊張を与えたり解いたりしながら場をつくることができた。それが自分の感性だし、自身の音楽だと思っている。その根底には「呼吸」という感覚がある。浅い呼吸は心を乱し、深い呼吸は集中をもたらす。音楽も人生も、体と心の調和から始まる。けれど、体や技術の鍛錬を重ねても、最後に拠り所となるのは、自分の心が本当に動いているかどうかだ。子どもの頃から、ただ音楽が好きだという気持ちが一番大事だった。小学校五年生の佐渡裕が客席にいて、それが感動しているかどうかだ。周りの評価や理屈よりも、内なる自分が心から動く瞬間を信じる。そこに自分の原点がある。─
生徒の声